モカが逝ってしまって十日が経ち
こんな気持ちで
ニャーニャの命日を迎えることになるとは。
初めての猫はイイコ率がめちゃくちゃ高い
私の初めての猫、ニャーくんが逝って
まる11年になりました。
嫌な予感。虫の知らせとはこのことか。
慌てて帰って、名まえを呼んで
目にしたニャーニャの抜け殻に叫び
声を上げて泣いた。
こんなに悲しく、こんなにつらいことって。
津波のように何もかも奪い去っていく。
この時の哀しみは、怒りに近かった。
11年の月日を経て
津波は時化になり、
大波はうねりになり
時々は白波が立つけれど
ふだんはさざなみに。
同じ轍は踏まないはずで
防波堤もしっかり築いていたはずだけど
静かに沼の底に沈んでいくような
時間が経つほどに苦しくなるような
年単位じゃないと
息がうまく吸えないような
目と鼻の奥に、沁みる大きなかたまり。
透明なカプセルの中にいるようで
外のことが直に伝わらない感覚。
波に洗われて
少しずつ削られていくんだろうか。
いっぱい写真撮ったはずなのに
足りない気がするよ。
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今日、モカはお兄ちゃんが迎えに来て
あわただしく虹の橋方面へ出発しました。
モカっち と ニャーくん(にいに)
なかよしだったな~。
「にいにが迎えに来たら一緒に行きなさい」
「後ろは振り向かないで走っていくのよ」
「あとのことは心配しなくてだいじょうぶ」
口酸っぱく言い聞かせていたので。
ちゃんとおかしゃんの言いつけを守って。
おかしゃん怖いんですよ。
ここからは昨晩書いたものです。
もう出発が近いな、とは思ってました。
でも、書き終えることができなかった。
いろいろつらくて。
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「ターミナル」
いろんな意味があるけど
私がこの言葉から受けるイメージは「終着駅」
私のかわいいモカににガンが見つかったのは
2年ほど前のこと。
あっという間に進行すると言われてたけど
1年半もの間、抑えることができていた。
寛解って言ってもいいかもね、と
かかりつけの先生は言ったけど…。
10月にガンの再発がわかって
放物線を描くように
最初のうちはゆっくりだったけど
加速度を増して悪化する病状
もう回復することは見込めないので
最期まで猫らしく、
なるべく苦しみや痛みは減らして
穏やかに過ごせるように。
そして私も、できることはやった、と
笑顔で見送れるように。
(そんなことできるわけないけどさ)
たぶんこれが「ターミナルケア」
**********
私はニャーくんの時のような
帰ったらもう抜け殻しか残ってない…
そんな見送りは絶対にしたくなかった。
それは大切な存在の節目である出発に
立ち会えなかった。立ち会わなかった。
それはあのコが望んでいるというよりか
ただの私の満足のため!?
でも、かわいいあのコは
これが(飼い主にとって)ベストだと思う!と
今日のモカのことを思うと
本当にそうだなって。
ちゃんと見てるですよ。
亡骸をととのえて
片づけを終えた今は
もう何もする気力が湧かなくて
荼毘に付す手続きもしたくなくて
ターミナルとは、交通の要所って意味もある。
モカは次のステージに向かったんだな。
しばらくはそっと見守っていただけたら
幸いです。
大切なことはいつも猫から教わった。
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