阪神淡路大震災から29年もの時間が経ち
今日は祈りの日です。
大きな自然災害など知らずに暮らしていて
早朝に名古屋であの揺れに遭っていながら
それでもあんなことが起こっているとは
想像できていなかった。
突然失ってしまった大切な命
ゆっくりと消えて行ったとしても
あんなにつらいものなのに。
命を喪うということは
何があってももう取り返せないということ。
命でなくても
楽しく過ごせただろう時間
穏やかに暮らせただろう時間
そういうのももう取り返せない。
「祈る」という事が
なんだか宗教的であまり好きじゃなかった。
でも、哀しみの淵にある時
何も希望が見いだせない時
そして大切な存在がふれることもできない
遠くにあっても想うこと。
それが祈るってことかな、と思います。
今日は静かに祈ります。
静かなろうそくの火のゆらぎは
祈ることと似てる気がします。
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とても「おめでとう」とは言えない年明け
年々年末年始気分は消え失せていってて
今回はクリスマスの街なかの飾りつけも
すごく減ったような気がしてた。
湯たんぽに鈴なり、も
なくなっちゃったな。
人が多い中心部には行かなかったからかも。
猫さんたち以外とはほとんど接することなく
日常を過ごしていると
自分の中の優先順位が
どんどん入れ替わっていくのを感じます。
鈴なりはなくなってひとりずつ入れ替え制
自分の機嫌が良いことが一番大事で
どこかに不調があるとフキゲンになるから
健康でいなきゃな、とか。
こういう兆しがある時は自重しなきゃ、とか。
この楽しみのためならがんばれるから
お金を使う優先順位は服より上だな、とか。
ねーねに追い出されたでしゅ。
むりやり割り込むからですよ。
それよりうちのコたちのゴキゲンさん加減は
私の機嫌を左右するから
いっつもゴキゲンさんでいてもらうには
どうしたらいいかな?とか。
こんな~時代も~あーったねと♪
今はみるちんの方が大きいです。
みんなそれぞれゴキゲンの種は
ちがうものじゃないでしょうかね。
自分の機嫌を自分でとる。
それを今年の課題としていこうかな。
おめでとうはふさわしくなさそうなので
これを新年のご挨拶に代えたいと思います。
ワタクシ的には喪中だけどね。
喪中がいつまで続くかは不明。
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