物心がついてから
独立起業するまでは
孤独だったことってあったかな。
そーだニャ あったかニャ
学生の時は、いつでも友だちとつるんで
会社勤めの頃は、常にチームでの仕事。
でもまあ、物理的に隣にヒトがいても
孤独ってあるな、と感じるようにもなった。
自分のことは自分にしかわからないもんね。
それがオトナになった証のような気もする。
今は常にひとり。
それがさびしかったり
誰か同意して!と思う日がないではないけど
むしろひとりにしてほしい。
美味しいものは、むしろひとりで食べたい⁉
孤独であることは
考えを深めて、内省して
自分の感情を分析して
本当はどう感じていたのか。
心の奥底ではどうしたかったのか。
なぜあんな行動につながったのか。
どういうふうになっていきたいのか。
これからの見通しをどう考えるのか。
誰かに迷いを相談するにしても
そこを言語化して、固定できてないとね。
なんですか?
違うと言いたそうですね?
相談するときって、自分の中では
もう答えが出てるときなんだよね。
ひとりにしてほしいっていうのは
きっと
まだ答えが出ていないから。
心の奥底まで見通されてる…!
人生の半ばを過ぎて←人生百歳時代なのだ。
孤独である意義を
孤独のエキスパートである猫に
教えていただく夏の終わり。
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かわいいかわいい息子猫だったモカ
次のステージへと旅立ってしまってから
半年が経ちました。
おかしゃん元気ですかニャ?
元気なわけなかろうもん。
もう半年なのか、まだ半年なのか。
元気を装っていますが
静かに沈んで沼の底を這いずりまわって
ちょっと浮上しては
あ、やっぱダメ明るすぎる、とまた沈んだり。
仕事はちゃんとできているので、というか
この慌ただしさにはずいぶん救われてます。
この暑さの中での命の輝きよ…
仕事の相手が猫さんたちだっていうのは
本当に幸いだなと、恵まれてるなと思います。
自分のことを飾ることのない正直な相手で
だから裏切られるってこともないこと。
だからこちらが装うことが通じないってこと。
自分に正直なののどこが悪いの?って。
なんか言い訳する必要があるの?って。
そう言われた気がして。
だからためらわずに、
イヤだ。キライだ。やりたくない。って
言ってもいいんだよね、って。
理由なんてなくたって
自分の心が嫌だと言ってるってだけで
背中を向けたっていいんだ、って。
背中も後ろアタマもかわいいよねぇ。
何か衝撃的なことが起こった時
その心理過程には共通する流れがあるのだそう
「信じられない!」
「胸が苦しい」
「考えられない、考えたくない」
↓
「悲しい」
「なぜあんなことをしたのか」
「○○のせいだ」
「誰にもわかってもらえない」
↓
「必然だったのかもな」
「受け入れるしかないな」
「なにができるだろう」
↓
「また歩き出そう」
「感謝しかない」
「こんな意味があったんだ」
次のステップへ移るまでの時間も
ケースバイケースだし
次に進めたと思っても
また元に戻ってしまうこともあるし
長く長く同じところに留まってしまうことも
モカが病気になったことも衝撃だったし
もちろん私の手の中から旅立ったことも
間違いなく最大級の衝撃だった。
後ろを振り向かない強さを分けてください
最後のステップまでたどりついたかもだけど
何度も何度も戻ったりしてるよね。
衝撃とは、何かを失った!だけじゃなくて
「失うかもしれない」と不安がよぎることも
衝撃のひとつと言えるのじゃないだろうか。
時間がどれくらいかかるかわからないし
どれだけ行ったり来たりするかも不明。
でもきっといつかは
この痛みが光になって飛び立てるんだろう。
その日が来るまで
自分の心に正直でいようと思います。
猫たちのように。
それでいいんニャ
そーだよね。これでいいんだよね。
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